今日は昼の部の途中から。土曜日だったので満員。補助椅子も出てました。
ロケット団の漫才が始まったところで中に入る。相変わらず面白い。
志ん馬、菊春と続いて、林家二楽の紙きり。生で見るのは初めてだったけど、名人芸。客席からのお題はゴジラと時そば。ゴジラを余裕で仕上げて時そばへ。「余裕がないのでございます」と言いつつ、そば代を払うところを切りあげる。会場からは拍手喝采。プロですな。
志ん橋で仲入り。見事なスキンヘッドでした。続いてしん平のフランス料理話に、権太桜の「子ほめ」。同じ話でもやる人が違うと、びっくりするくらいできが違う。落語の不思議を感じた一席。アサダ二世の奇術が入ってトリは古今亭志ん五が「井戸の茶碗」。
「井戸の茶碗」といえば人情噺のイメージが強かったけど、かなり滑稽噺より。くず屋にアクセントを置くとこうなるのね。大満足の昼の部終了。
夜の部も居残り。昼の部で帰る人も多かったけど、同じくらい入ってきてすぐに満員。前座は市也の「転失気」。
三遊亭窓輝は「釜泥」。この人面白いなあと思っていたら、三遊亭円窓の三男だそう。だからどうってことはないけど、妙に納得。
金也が「権助提灯」。奥さんが「今日はお妾さんのところでお休みになったら」と言ってたので、最初にちょっと話がわからなくなる。初めて聞く噺だったというのもあるけど、落語に出てくる奥さんはいつも嫉妬してるイメージがあるので、軽い驚きが。
続いてゆめじうたじの漫才。うなぎの話。芸が円熟の域に達しすぎていたような……。
続いて五明桜玉の輔。枕から笑わせっぱなし。面白すぎます。
ここまで聞いて腹が減ったので帰宅。お休みで、三三を聞けなかったのが心残り。
▲ by tempsretrouve | 2009-02-09 00:20 |
雑感
池袋演芸場2月の上席。矢崎滋が落語をやっている。白鶴のCMに出ていたあのおじさんである。落語好きで、この席に呼んでいただきましたとのこと。CMは「定年退職」したという。26年間も同じ商品の宣伝をしていた。なぜこれだけ続けられたかというと白鶴の売り上げがちょっとづつではあったけど、増えていたかららしい。広告代理店の人からそんな話を聞きましたというあたりが枕。りんごジュースを出して白鶴のコップに注いでみたりいろいろつかみを仕込んでいる。初日でかなり緊張しているのか手がかすかに震えている。それとも年か。御年61歳の初高座始まり始まり~。
演目は「幾代餅」。これまた隣に古今亭志ん生のテープなどを置いてお守りです、と言ってまた一笑い。
喋り出すと上手いこと上手いこと、さすが俳優。何度か聴いたことのある話だったけど引き込まれました。
そのほかの出演者は古今亭菊之丞、柳家三三など。今日は前座からおもしろかった。落語ではないけれど、漫才のロケット団が実力を見せていた。時事ネタと山形訛りの外来語ボケ。テレビにもちょこちょこ出ているみたいだけど、人気が出てほしいなあと応援したくなりました。今日は最初から最後まで楽しめたので、2500円の木戸銭は安いくらい。
▲ by tempsretrouve | 2009-02-02 02:17 |
雑感
「南部美人」という名の日本酒がある。隠れた名酒というほどのものでもない。あれば飲むという程度の味だと思う。東京でも手に入るとは思うが、「越乃寒梅」や「久保田」といった名酒がひしめき合う中で、その影は限りなく薄い。お隣の県には秋田美人という言葉があるが、そちらは全国区の知名度を持つ。なぜ秋田だけが美人どころだと言われるのか。私は前々から不満でたまらなかった。
意味のない前置きをしてしまったが、いきなり結論から言ってしまうと、私が言いたいのは
岩手は美人が多い、ということである。もちろん絶対数の話ではなく、あくまでも割合の話である。前々から思っていたことではあるが、つい先ごろまでカミングアウトできずにいた。というのも、上京したてのころは、都会での寂しさが帰省した時に女性を美しくみせるものだと感じていたからだ。また、岩手には美人が多いと確信を持つようになってからでも、自分一人の思い込みではなかろうかと思い口に出すことができなかった。
だが先日同郷の友人と話す機会があり、やはりその友人も地元には綺麗な人が多いと思っていることを知った。私は今こそ南部美人の美しさを讃えたい。
美人と言っても、それは顔かたちが整っているという話とはちょっと違う。ずばりそれは肌の美しさであろう。日照時間が少ないために白くなり、厳しい寒さと綺麗な水で引き締められた肌が女性の美しさを作り上げるのだ。さすれば顔の整い具合などというパーツの問題は、二の次三の次でしかない。まさに
色の白さは七難隠すなのである。
▲ by tempsretrouve | 2007-03-05 01:58 |
雑感
象の額に少女が自らの額を重ね瞑目する。彼らはその体を深く水に沈めているが、水面にはさざ波一つ広がることはない。象と少女の姿が水面に映し出され、この空間の静寂を伝えている。
グレゴリー・コルベールが撮る写真は、「
人間と動物の驚異的な交流」をフィルムに焼き付けているが、彼の作品は幻想的な絵画を思わせる。この世にはありえない特権的瞬間、その瞬間だけはあたかも「人間」と「動物」の境界が消滅してしまったかに見える。
森美術館で開催されている「
animal totems」は、おそらくはグレゴリー・コルベールが撮った写真のほんの一部であろう展示作品の少なさにもかかわらず、訪れた者を彼が作り出した濃密な空間に引き込んでくれる。
▲ by tempsretrouve | 2007-03-05 00:23 |
雑感
消費期限と賞味期限、発音すると一字違いだが、体に入るときには注意しなければならない。
部屋にあったのはおいしそうなチーズケーキ。
「消費期限」は、2月19日。そして今日は2月24日。
空腹に耐えかねた私は無謀にも「消費期限」を5日過ぎたお菓子に手を出した。だいたい今時の日本人は甘やかされとる。ちったぁ危ないものも腹に入れとかないと、いざという時生き延びれない、という無茶苦茶な論理ができあがっていた・・・こんな発想をした自分を殴ってやりたい。
「うまい!うまいぞ、これは!さすが結婚式の引き出物!」
消費期限がなんじゃい。においも味もおかしくないのをいいことにあっという間に二つ平らげた。この時私は来るべき悲劇を知るよしもない。
2時間後・・・
嘔吐。
半年前居酒屋で色の怪しくなった刺身を口にして以来だろうか。「賞味期限」を気にすることはない。「消費期限」に気をつけろ!
▲ by tempsretrouve | 2007-02-25 00:12 |
雑感
「摂州合邦辻」(せっしゅうがっぽうがつじ、と読む)という作品をご存知だろうか。私はつい最近まで知らず偶然友人に教えてもらわなければ当分耳にすることもなかっただろう。
国立劇場の2月文楽公演はその「摂州合邦辻」である。詳細は省くがついに観た。私は平日ならば簡単にチケットが取れるだろうとタカを括っていたのだが、さにあらず。会場は文楽ファンの中高年で埋め尽くされ、私が与えられた席は劇場の最後列であった。人形を見るには最悪の場所といえるだろう。当然のことながら人形の顔はほとんど見えず、かわりに人形使い(というのだろうか?)の顔をすっかり覚えてしまった。
友人が「摂州合邦辻」を勧めてくれたのは、「白痴の芸術」(『月と狂言師』所収)で谷崎潤一郎がこの作品を(愛情をこめつつ)酷評していたからである。大谷崎は「摂州合邦辻」を評して「白痴の芸術」であると断ずる。
私も谷崎の見解に同意するに吝かではない。というのもこの作品のオチが、思わず「えぇ~!」と声を上げてしまいたくなるほどの大どんでん返しであるからだ。それだけならまだしも、そのどんでん返しがとってつけた感が見えみえであり全く説得的でない。同じオチで舞台脚本の新人賞にでも応募したら、間違いなく一次選考で姿を消すであろうような代物なのだ。
にもかからわず「摂州合邦辻」に肯定的評価を下すとすれば、それはこの作品がもつ「あほらしさ」を措いて他にない。江戸時代の町人が暇つぶしに観たであろう人形浄瑠璃。彼らはこの芝居を笑いながら観たのではないだろうか。「んな、あほな」などと言いながら。筋立てとしては悲劇なのだが、先にも述べた通り台本はひどいものだ。だがこのひどい台本を大真面目な悲劇に仕立て上げることの滑稽さがまたたまらなく愛おしい。これがこの作品の持つ「あほらしさ」でありまた魅力なのである。
▲ by tempsretrouve | 2007-02-22 00:11 |
雑感

高校生の時担任の先生から聞いて印象的だった話がある。それは女優である夏目雅子がなぜ作家の伊集院静と恋に落ちたのかというもの。女優と作家というのは、ちょっと珍しい組み合わせではないだろうか。夏目雅子は若くして亡くなった美人女優で、左の写真の人。その話をブログで書いている人がいて懐かしさを感じた。
ある編集者の気になるノートで見つけた(
アトムおじさんの日記)
女優の夏目雅子が、
作家の伊集院静を好きになったのは、
「薔薇」という字が、すらすら書けたからだそうだが、
「薔薇」や「憂鬱」などは、読めても、なかなか書けない字だ。
たしかに、こういう字を、すらすら書くとインテリジェンスを感じる。
真偽はともかくなかなかいい話だな、と思う。何が良いかというと、彼女が伊集院静に惚れた理由を聞かれたとき、「優しかったから」とか答えるよりも洒落ていると感じるし、何よりもこのエピソードで彼女自身が知的な女性に見えるからだ。そして、そんなことで好きになるの??という意外性もあってほほえましい。
担任の先生はこの話に続けて、「女性を本当に惹きつけるのは知性だ」とおっしゃっていた。だから君達は、女性にモテたいのであれば勉強しなさい、ということだ。今は先生の話がまったくの嘘であることをひしひしと感じている。
▲ by tempsretrouve | 2007-01-19 21:36 |
雑感
こんなカマトト、ツンデレな女の子に見てほしい動画を発見したので。
日本一のせんずり男(youtube)
吹越満の一人芝居です。十数年前の深夜番組っぽいんだけど今見てもおもしろい。タイトルだけでもわかるように結構お下品な内容です。僕は彼がワハハ本舗に所属していたことを知らず、個性派の俳優さんだと思ってました。コメディアンでもあったんですね。顔があまりに普通の人なので意外でした。
▲ by tempsretrouve | 2006-12-25 14:24 |
雑感
営業スマイルヘルメット(古今東西製品情報)
マックでスマイル0円って頼んでる人を見たことがない。頼んでたら頭がおかしいのか、あるいはなんかの罰ゲームかと思ってしまう。リンクは2m以内に人が来たらスマイルを自動的(強制的)につくってくれるヘルメットらしい。まあ見てみてください。めっちゃ口角が上がってる。
飲食店とか服を買いに行った時とか、店員さんが満面の「営業スマイル」をしてくれるのだが、それって全然「営業」になってないことが多い。明らかに作り笑顔で、全く僕の琴線に触れてこない。笑顔を作った次の瞬間には真顔に戻っていて、かえって印象が悪かったりもする。あの方々は「営業」したくないんじゃないかと思ってしまう。そんな「営業スマイル」で客の心はつかめないだろ!そのくらいなら始めから無愛想なほうがまだ好感がもてる。
うわ~かわいいとか、この人本当にどんな服が似合うか考えてくれてるんだあ、と一瞬でも感じさせてほしいと思うのは僕だけじゃないはず。たとえそれが幻想であっても、店員さんの真摯な姿勢が見えれば客としても財布のひもが緩むというもの。思わず情をほだされてしまう本物の営業スマイルをしてほしいもんだ。
▲ by tempsretrouve | 2006-12-22 21:12 |
雑感
面白い記事を見つけたのでリンク
内田樹の研究室沢崎浩平という仏文学者の笑い話。フランスで電車に乗っていたとき相席になったフランス人との会話だそうです。
かのフランス人はさらに質問をスペシフィックなものにして、「汝はどのような仏国人の書物を愛読せるや?」と訊いてきた。
沢崎先生はそのころ集中的にロラン・バルトの著作を訳されていたところだったので、その旨お答えした。
おそらくその詮索好きのフランス人は「ロラン・バルト」の名を知らなかったのであろう。
そういう場合に人はどのような態度をとるか、想像に難くない。
「ああ、バルトね。うん、バルト。はいはい、ロラン・バルトね。うん、僕も読んだよ、あれね。むずかしいんだよね。よくわかんないよね。ふつうのフランス人は名前も知らんだろうね、ははは」
ここまではよくある話。たぶんこの人はバルトを知らなかったんでしょう。専門的に研究してる日本人の方が、本国の人よりその分野について詳しいのは当たり前。漱石がイギリスに留学した時、確か下宿先のおばちゃんより自分の方が英文学に詳しくてびっくりしたというような話をどこかで読んだことがあります。
ちなみにロラン・バルトとは批評家です。『表徴の帝国』という日本論なんかも書いてます。現代思想、文学理論に興味ある人なら「作者の死」というエッセイを書いた人として知ってるかもしれません。ちなみに大学の友人に「授業で何やってるの?」と聞かれ「ロラン・バルトだよ」って答えたら、「誰それ?」と言われたことがあります。で、そのフランス人はちょっと気まずくなったのか、自分の無知を挽回しようとしたのか、次のように会話を続けます。
「ほお、フランス人の哲学者をご研究と・・・えーと、じゃあ、当然エージェルなんかも読んでるわけですよね」
「エージェル?」
沢崎先生は問い返した。
「それは誰ですか?」
この問いにフランス人は勝ち誇ったようにこう応じた。
「え?エージェル知らないの?まじで。わははは。エージェルも知らないんだ。エージェルも知らないで、哲学だって。ははは。笑っちゃうね。何がバルトだよ。エージェルも読まないやつがバルトだって。バカじゃん」
沢崎先生はその屈辱的な口吻にも動じないほどに温厚な方であったが、同時にたいへん篤学の人でもあったので、およそ哲学を学ぶ人間がその名を知らぬはずがないという「エージェル」とはいかなる人物であるのかを辞を低くしてかのフランス人に尋ねた。
「しかして、その方はどのような題名の本を著しているのでしょうか?」
「え?エージェルの本?たくさんあるよ。『精神ナントカ学』とか『法ナントカ学』とか・・・」
「あの・・・・それって、ヘーゲル?」
「え?ヘーゲル?Hegel って『ヘーゲル』って読むの?日本では?」
ああそういうオチか。勉強になりました。フランス人は「ヘーゲル」を「エージェル」って読むんだ。日本語は原語に結構忠実な読み方をするなと思いました。
僕がなぜこの話に反応したかというと、似たようなことがあったからです。フランス人と話していて、相手の人がコンフュシウスという名前を出しました。「は?誰それ?」という顔したら「おいマジかよ、この学生」という反応だったんですが、何のことはない「孔子」のことだったんです。孔子はフランス語でコンフュシウスって言うんだ、何で「こうし」じゃないの?とちょっと不満でした。中国語に関しては、漢字を使うせいか日本語の読みになってしまうんですね。うーん、面倒くさい。
▲ by tempsretrouve | 2006-12-20 23:47 |
雑感