
フィルムセンターにて『山椒大夫』(1954)を鑑賞。溝口健二の映画。上映開始10分前に会場に着いた。入り口でお姉さんが、日本野鳥の会の人が持っているあのカチカチする奴で人数を数え「あと3人です」というのが聞こえた。あと1~2分遅れていたら入れなかった。2日前に『楊貴妃』を見たけれど、その時は開始直前でもかなり良い席で見れたのでびっくりしつつ映画が始まるのを待つ。
わざわざこの作品を観に行ったのは他でもない、8月に行われた「溝口健二シンポジウム」でビクトル・エリセが『山椒大夫』を激賞していたから。そんな映画なら是非スクリーンで観なければなるまいと思っていたが今日やっと念願かなった。前にも書いたけれど、ビクトル・エリセの話があまりに感動的だったのでもう一度引用しよう。ビクトル・エリセが兵役についていたとき門限は12時で、『山椒大夫』の開演は10時。映画は124分あるので絶対に間に合わない。エリセ青年は懲罰を恐れながら映画館に向かうことになった。以下9月5日の朝日新聞文化欄から。
「…つまらない作品ならば途中で出ようと思っていたが、映画は懲罰を要求しているかのようでした。おかげで映画史上で最も美しいフィナーレを見ることができたのです」
これに続けて彼は「人生を凌駕する映画がある」と語った。ストーリー自体はベタなんだが、映像の一つ一つが目の奥にまでとどく深さがあったように思う。溝口監督はカメラを全く覗かなかったらしいので、これは撮影の宮川一夫の功績なのかな。
映画全体を語るほどに頭が整理されていないのが、印象に残った部分を一つだけ挙げるとすればそれは安寿(香川京子)が入水するシーンだろう。兄の厨子王を山椒大夫から逃がし、自死を決意するところで一瞬笑うのだけど、その顔がなんともはかなげで美しかった。彼女はこの映画で全く笑顔を見せない。それだけにこのシーンが際立って印象に残るのだ。と共に湖に身を沈めていく背中が、悲壮感よりもむしろ兄を助けることの喜びを抱いているようにさえ見えるではないか。
この映画では水がライトモチーフとして用いられているが、そのイメージは人買いの登場、安寿の死、二人の子供(厨子王と安寿)の母玉木(田中絹代)の逃亡の失敗と、常にこの家族にふりかかる災難、もっと言ってしまえば別離と共に姿を現す。しかも彼らの父平正が筑紫の国へ島流しに合うのがこの物語の発端ではなかったか。水は家族を引き裂く不吉なイメージを担っているのだ。が、最後の場面で厨子王は海を渡り、母との再会を果たす。そしてラストのカットは抱き合う二人の親子の背景に広々と海が広がっている。親子、兄妹の別離を演出した水のイメージは、その悲しさ、無念さを保存したまま厨子王とその母親の再会に姿を現す。水は不吉イメージとして登場するだけでなく、最後の最後でほんの少しだけ救いのようなものを差し出す。それがこの映画のラストを感動的なものにしているのではないだろうか。